ステンドグラス
聖マリア大聖堂のステンド・グラスも、それぞれ美しく、祈りの空間として建造物全体を盛り上げている。窓そのものもエレガントであるが、そこに表現される内容も、その一つ一つが、またその全体が視覚的に聖書そのもの、または聖書に基づく信仰を表現している。
何が表現されているか、その主題の観点から言えば、東側の壁のその北から主題が配置されていると言えよう。その最も北にあるのが、右の脇祭壇のそばにあるもので、それはベツレヘムにおけるイエスの誕生を表現している。その次にあるのが、洗礼者ヨハネによるイエスの洗礼であり、かつてその前に大理石の洗礼盤があった。次に信徒席の右にある窓で、ここから聖母マリアの生涯の表現が並ぶ。まず無原罪のマリア、受胎告知、イエスの奉献の3つが並ぶ。次に信徒席の西側に移り、その後ろ(南側)から、十字架からイエスの御遺体を降ろす場面、次に聖霊降臨、最後に聖母マリアの眠り(DORMITIO)と被昇天をもって結ばれる。それに、小聖堂の西壁にある日本における聖フランシスコ・サビエルの説教、それに窓枠に囲まれた十字架が2つ、大壁画の前の両側の壁にある2体の天使を描いた高窓。この窓のすべてが、大聖堂のへの明かり取りとなっている。この自然光の大聖堂を味わってみたい。

1)イエスの誕生
これは、福音書のマタイ1:18―25、ルカ2:1-20を表現したもので、馬草おけに寝かされた幼子イエスとその母マリア、養父ヨセフのみが描かれる。左上に星が描かれているが、その下に描かれている3人が東方の博士かどうか(マタイ2:1-12)、はっきりしない。ここでは、中央にいる聖母が強調されている。処女懐胎した聖母の清さが空色で強調されているようである。

2)洗礼者ヨハネによるイエスの洗礼
マルコ1:9-11;マタイ3:13―17;ルカ3:21―22;ヨハネ1:29―34。
イエスは、その宣教活動を始めるにあたり、洗礼者ヨハネのもとに来て、ヨルダン川で洗礼を受けられた。そのとき、聖霊がくだった。
現在はなくなってしまったが、このステンドグラスの前に、洗礼盤が置かれていた。

3)無原罪のマリア
この絵は何を描き、何を表現しているのか。まず目にされるのは女性で、頭に光輪があるので、聖母マリア。その足は蛇の頭を踏みつけている。これは旧約聖書の創世記2:4―26;3:1-19にある人祖アダムとエバの創造とそれに続くその人祖の罪の物語の一場面。人祖は楽園にいたが、蛇に誘惑されて神に背いてしまった。こうし人類に死の運命を呼び込んだ。そのとき、神が蛇にくだした審判がこうである。「わたしはお前と女、お前の子孫と女の子孫との間に敵意を置く。
彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」(3:15)。ここの
「彼」をメシアであるが、ラテン語ウルガタ訳はこれを「彼女」と訳し、それはイエスの母マリアだと解釈してきた。ここに原罪を犯させたサタンを踏みつけるメシアの母マリアが示唆されている。ここに福音の原初(Proto-Evangelium)があるといわれてきた。

4)受胎告知
お告げの場面は、ルカ1:26―38。この場面では特に聖書の該当箇所を読んでみよう。ガリラヤの小さな町ナザレに澄む処女マリアのもとに、大天使ガブリエルが神から派遣され、処女のまま神の子の母となること告げられる。マリアは疑問を投げかけ、大天使の答えに納得し、「仰せのとおりに実現しますように」とお答えになった。
カトリック教徒は、アヴェ・マリアの祈りとして暗記して日々唱える。長い迫害時代も唱えてきた祈りでもある。

5)幼子イエス、神殿に奉献される
(ルカ2:22―39)
マリアの清めの日でもあり、長男を神殿に奉献するために、神殿に参拝した。そのとき定められたとおり、山鳩2羽を捧げたとある。イエスを抱いた母マリアと養父ヨセフがエルサレムの神殿に登ってくると、この聖家族を迎えてのは、老人のシメオンだった。シメオンは神を賛美すると共に、幼子イエスの厳しい将来を予告する。また、敬虔な老女アンナもいて歓迎する。

6)イエスの御遺体を降ろす
マタイ27:57―61;マルコ15:42-47;ルカ23:50―56;ヨハネ19:4438―42)。
イエスの時代、死刑囚の遺体は共同墓地に捨てられるのではなく、その家族に引き取られる習慣があった。イエスの遺体もその弟子たちによって引き取られ、埋葬された。
聖母マリアの悲しみは想像を絶する。

7)聖霊降臨
イエスの母マリアは、イエスの復活の後、弟子たちとともにエルサレムに留まっておられた(使1:12―14参照)五旬祭の日に、聖霊が12使徒の上に降ったが、そのとき聖母マリアも同席されていたにちがいない。こうしエルサレムにおいて教会が始まった。

8)聖母マリアの眠り(DORMITIO)と被昇天
人間の死は、人祖アダムとエバが犯した原罪の結果であるから、無原罪の聖母マリアには死はなかったはずである。それゆえ、聖母マリアの人生の締めくくりを、「眠り」ということがある。またそのお体は昇天されたと信じられてきた。これを聖母の被昇天という。これは、1951年に、教皇ピオ12世によって信ずべき教義と宣言された。